奈良・平安時代の住居

 竪穴住居は奈良・平安時代の一般的な居住施設です。方形に地面を掘り下げた半地下式構造をもち、壁面には調理施設であるカマドが造りつけられます。まず、「掘方(ほりかた)」と呼ばれる粗掘りを行い、その後、柔らかい土を用いて床面が平坦に整えられました。半地下構造のため、出入り口部には階段を設置した小穴が見つかることもあります。床面からは、屋根などの上屋構造を支えた柱跡が検出されるのが一般的ですが、柱穴が見当たらない住居もみられるようになります。また、竪穴部の床面積は古墳時代に比べ小型化する傾向にあります。いずれにせよ集落の形態に変化があったと捉えてよいでしょう。

竪穴住居
竪穴住居

 奈良・平安時代のカマドには土製の「置きカマド」と竪穴住居に造りつけられた「造りつけカマド」があります。ここでは竪穴住居の壁に造りつけられたカマドを紹介します。カマドの構造は土壁によるドーム状の覆いと火を焚く焚き口、壁面に穴をあけて煙を外に出す煙道から成ります。覆い部分は粘土などの構築材によってつくられました。カマド中央部には煮炊き具の甕と甕を支える土製あるいは石製の支脚(しきゃく)が据えられました。焚き口部分は燃焼により赤色化し、堆積した土には炭化物が含まれます。この土を採取して洗浄すると、当時の食性を知る手がかりとなる穀物や魚骨などが発見されることもあります。

カマド
カマド

 掘立柱建物は、竪穴住居の柱と構造的には同じですが、竪穴住居が地面を掘り下げるのに対し、掘立柱建物は地表面に直接柱穴を掘って立てられます。一般的に集落跡から見つかる掘立柱建物には、ロの字に柱穴が掘られた側柱建物が見られます。これまで、竪穴住居が消滅する中で、徐々に掘立柱建物が普及すると考えられてきました。ところが、竪穴住居と近接して1つの群を構成する例があることから、地域により利用目的に差があると考えられます。この他、田の字に掘られた総柱建物や側柱建物の外側に並行して柱穴を配する庇(ひさし)付の建物もあります。これらの用途については諸説ありますが、高床倉庫や寺院という例もあります。

掘立柱建物
掘立柱建物

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