代官守屋左太夫陣屋跡(相模原市)

小田原城の支城であった津久井城は、1590年(天正18)の小田原攻めの際に落城しました。以後は廃城となり、1608年(慶長13)に城が築かれていた城山の南西麓に代官陣屋が置かれました。代官は1644年(正保元)まで守屋氏、それ以後は野村氏が務めましたが、1664年(寛文4)に廃止されました。遺跡は相模原市緑区に所在し、城山の南西麓に位置しています。調査地点は代官陣屋が置かれていたという伝承地です。調査の結果、礎石建物や掘立柱建物、井戸などの遺構、舶載磁器、鎧、瓦などの遺物が発見されました。

 建物の規模は6間×5間(東西11.15m、南北9.15m)で、南側と北側に下屋が取り付いています。また、東側には土間と考えられる硬化面、南側には庭状の空間を挟んで柱穴列が認められました。間取りは、南側に3間×3間の広間が2部屋、北側に2間×2間の部屋が3部屋あり、民家の造りとは明らかに異なっています。上流階級または公的な性格をもった建物と思われます。

礎石建物址
礎石建物址

掘立柱建物跡は5棟が発見されましたが、発見された柱穴の数から、さらに多くの建物が存在していたと思われます。規模は4間×3間と3間×2間ですが、柱穴の規模は、直径0.5~0.6m、深さ0.6~1.2mを測るものが多く認められ、一般的な建物とは異なる可能性が考えられます。

掘立柱建物址
掘立柱建物址

 礎石建物跡から鎧が出土しました。腐食が進んでいましたが、喉輪の垂(たれ)、鎖帷子(くさりかたびら)、小札(こざね)などが認められ、一部には漆や金箔が残っていました。周辺から出土している陶磁器の年代から17世紀中葉以前の遺物と思われます。遺跡からこのような遺物が出土することは稀で、非常に貴重な発見となりました。

鎧

ページ先頭へ