縄文時代の道具

まだ金属の使われていない縄文時代、道具の素材には石、動物の骨や角、木などが使われていました。これらのうち木で作られた道具(木器、木製品)は腐って失われ、骨や角で作られた道具(骨角器)も貝塚など保存に適した条件の遺跡を除いては、土中で溶けて失われてしまいます。縄文時代の道具として普遍的に遺跡から発見されるのが石でできた道具(石器)です。

相模原市緑区 川尻中村(かわしりなかむら)遺跡
相模原市緑区 川尻中村(かわしりなかむら)遺跡
(左:打製石斧 右:磨製石斧)

相模原市緑区 川尻中村(かわしりなかむら)遺跡
相模原市緑区 川尻中村(かわしりなかむら)遺跡
(上:石錘 中・下:石鏃)

 石錐(「せきすい」あるいは「いしきり」)という石器です。先が細く尖り、獣の皮や木の皮などを縫い合わせるための穴をあける道具であったと考えられています。

 石鏃 矢の先に装着され、獲物を捕まえるのに使用されました。石錐や石鏃には黒曜石やチャートといった薄くはがれる堅いガラス質の石が使われます。写真の石錐は右の黒い方が黒曜石、石鏃は上段左2点がチャート、下3点が黒曜石です。黒曜石は神奈川県では産出しない石で、遠く長野県か海を越えて神津島(東京都)から運ばれました。

 

石匙

石匙(いしさじ)は、大きさは4~6㎝程度の小さな石器です。匙(さじ)と言ってもスプーンではありません。匙の形をした石器ということで、ナイフのように使われた石器です。つまみの部分は手で持つ時に摘まんだか、あるいはぶら下げるための紐をかけたと思われます。

 石匙の刃の部分に残された傷を顕微鏡で観察したところ、植物を切った痕跡と推定されました。石匙は個人の持ち物であったらしく、お墓に副葬されている例があります。


石匙

磨石と石皿

石皿は、一見するとただの石に見えますが、クリやドングリといった堅い木の実を割って磨り潰すための道具です。楕円形の石器は磨石(すりいし)で、皿形の石器を石皿(いしざら)と呼びます。磨石と石皿はセットで木の実を磨り潰しました。

 縄文時代は米や麦などの穀物を栽培していなかったので、時代や地域によって多少の差はありますが、クリやドングリ、クルミなど、堅い殻に覆われた木の実が主要な食物でした。これらの木の実は磨り潰して粉にして、パンやクッキー状にして食べたものと思われます。木の実を粉にするため磨石と石皿は無くてはならない道具だったのです。


左:石皿 右:磨石

ページ先頭へ