原口遺跡(平塚市)

―広大な墓域をもつ台地上の環濠集落―

原口遺跡は、平塚市上吉沢に所在する弥生時代中期後葉と弥生時代後期の遺跡です。金目川の南側の台地上に立地していて、竪穴住居跡60軒、方形周溝墓97基、環濠3条などが発見されています。発掘調査の結果、遺跡の北西側に弥生時代中期後葉の環濠に囲まれた居住域があり、それを取り囲むように方形周溝墓が分布していること、弥生時代後期には遺跡の北東側と南側に分かれて居住域があり、遺跡の北西部から南東部にかけて広く方形周溝墓が作られていること、などが明らかになっています。方形周溝墓の副葬品として、ガラス玉・土玉や銅釧が出土しています。

写真1 原口遺跡全景(南から)
原口遺跡全景(南から)

 原口遺跡では、弥生時代中期と弥生時代後期の竪穴住居跡が発見されています。総数60軒が調査され、主に3箇所に分かれています。遺跡北西部では弥生時代中期の環濠と竪穴住居跡が2軒発見され、調査範囲外の北西側に集落の中心があると考えられています。弥生時代後期の竪穴住居跡は2箇所に分かれて分布していて、遺跡の北東側には環濠に囲まれて41軒の竪穴住居跡が発見され、南側では環濠に囲われていない竪穴住居跡が17軒発見されています。環濠に囲まれた中の竪穴住居跡は多数が重複していて、同じような場所に繰り返し作られていることが判ります。

写真2 重複して発見された竪穴住居跡群
重複して発見された竪穴住居跡群

 弥生時代の遺跡では、集落を囲む環濠が掘られていることがあります。原口遺跡でも、部分的な調査ですが弥生時代中期と弥生時代後期の環濠と考えられる溝状の遺構が発見されています。環濠の断面形は上幅が広く底部がきわめて狭いV字形をしています。弥生時代後期の環濠は、上幅は約1.5m、深さ約1mの規模が調査されていますが、環濠を作った当時の地表を復元すると、上幅は約2mあったと推定されています。弥生時代中期の環濠はさらに規模が大きく、上幅が約3m、深さ2.4mほどの規模が推定されています。

写真3 弥生時代の環濠
弥生時代の環濠

 原口遺跡では97基の方形周溝墓が発見されました。その中には遺体を埋葬したと考えられる土坑(主体部)が検出されたものもあります。YH1号方形周溝墓は周溝を含む規模が約8.8m×8.3mの比較的小型の方形周溝墓で、周溝の掘り込みが浅く全体的には残存状況が不良でしたが、溝で方形に囲まれた中央部に、長さ1.8m×幅1.3mほどの土坑が掘られていました。人骨は残っていませんでしたが、銅釧やガラス玉、土玉など、葬られた人が身につけていたと考えられる装身具が出土しました。主体部から装身具や副葬品が出土することは多くないので、貴重な例です。

写真4 原口遺跡 YH1号方形周溝墓
原口遺跡 YH1号方形周溝墓

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