西方A遺跡(茅ヶ崎市)

-高座郡衙の発見-

西方A遺跡は、茅ヶ崎市の北西部、高座丘陵から西側に張り出した舌状台地の先端に立地しており、西側には小出川、東側には小出川の支流である駒寄川が流れています。以前から縄文時代前期の貝塚、弥生時代中期の大規模な環濠集落などで知られていますが、平成14年(2002年)、この遺跡の中央部にあたる県立高校のグラウンドを調査したところたくさんの柱穴群が確認され、その規模と企画性を持つ並びなどから7世紀待つから8世紀初頭の郡衙跡と推定されました。西方A遺跡南東には下寺尾寺院跡(七堂伽藍跡)が存在していますが、郡衙の周辺には寺院が存在する事例が多く、その事からも郡衙の可能性を示唆しています。

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茅ヶ崎市 下寺尾西方A遺跡 航空写真(西から)

 郡衙(ぐんが)とは律令時代の郡の役所の事で、今でいう市役所・町役場にあたります。古代の律令国家は、地方を統治するために国・郡に分け、国府・郡衙を置きました。西方A遺跡は相模国高座郡に当たり、高座(たかくら)郡衙と推定されました。発見された郡衙には南側に政務を執り行った郡庁、その北側に高床式の倉庫である正倉(しょうそう)、東西12間(33m)以上×南北2間(5m)の長大な大型掘立柱建物が確認されました。この発見は高座郡の中心がここにあった事を示す大変貴重な事例となりました。

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茅ヶ崎市 下寺尾西方A遺跡 調査地点遠景

 郡庁は正殿・後殿・脇殿で構成されています。郡司が実際政務を行っていたと考えられる中心的建物である正殿は大半が調査区外へ広がっているため、確認できた規模は東西5間(13.5m)×南北2間(5.4m)ですが、周囲に庇(ひさし)が巡る建物とわかりました。その北側にある後殿、東側にある脇殿も調査区外へと延びているため、確認できた規模はそれぞれ東西7間(18.9m)×南北2間(4.5m)、南北6間(16.2m)×東西2間(4.5m)でした。脇殿は正殿の両脇に控える建物であるため西側を試掘調査した結果その存在が確認され、郡庁は「コ」の字型の構造をしていることもわかりました。東西長66.3mを測り古代相模国で検出された郡庁の中で最大規模をもっていましたが、後に後殿・脇殿を柵列で区画した構造に変わりました。

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茅ヶ崎市 下寺尾西方A遺跡 官衙関連建物(郡庁 北東から)

 正倉(しょうそう)は高床式倉庫で東西3間(6.5m)×南北3間(5.4m)のやや東西に長い16本の柱をもつ総柱建物です。4棟が約10m間隔で並んで確認されました。税として納められた米などを保管していたのではないかと考えられます。また、それに並行するように東西12間(33m)以上×南北2間(5m)の長大な建物が見つかりました。25本以上の柱をもつこの建物の性格は今のところ分かっていません。

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茅ヶ崎市 下寺尾西方A遺跡 官衙関連建物(正倉 南東から)

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